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第51師団(だいごじゅういちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。茨城・栃木・群馬の三県を徴兵区とする常設師団として、1940年(昭和15年)7月10日に留守第14師団を基幹に宇都宮で編成された〔1940年(昭和15年)8月から常設師団のうちの8個師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として同年7月10日に第51師団・ 第52師団・第54師団・第55師団・第56師団・第57師団の計6個師団がそれぞれ留守師団を基幹に編成された。なお翌年の1941年(昭和16年)9月16日に第53師団が留守第16師団を基幹に編成されたが、第1師団分については除かれた(第1師団の管区は近衛師団が引き継いだ)。〕〔第51師団の管轄区域は1941年(昭和16年)から宇都宮師管区に改称、1945年(昭和20年)には補充任務等の管轄区域の軍政を担当する留守師団司令部は独立し宇都宮師管区司令部となった。〕。 ==沿革== 師団は編成後当初は東部軍に所属し宇都宮に在ったが、1941年(昭和16年)7月に関東軍特種演習参加のため満州へ派遣。同年9月には華南に進出し第23軍に編入され、歩兵第66連隊基幹の荒木支隊が12月の香港の戦いに参戦する。その後も第23軍隷下広東に駐屯していたが、1942年(昭和17年)11月にはニューギニア戦線に転用され第18軍に編入、ラバウルに進出した。 1943年(昭和18年)1月2日に東部ニューギニアのブナの日本軍が玉砕し、師団は連合国軍の次の目標地であろうラエを守るべく2月28日にラバウルを出航した(八十一号作戦)。しかし、3月2日・3日にダンピール海峡で連合軍の空襲を受け、輸送船8隻すべてと駆逐艦4隻が撃沈されダンピールの悲劇といわれる多大な犠牲を出した(ビスマルク海海戦)。その後小規模に分かれた舟艇や駆逐艦による輸送により上陸した1個連隊ほどの兵員もラエ・サラモアの戦いに敗れ、サラワケット越えを敢行しての撤退は悲惨を極め、さらに連合国軍の飛び石作戦に翻弄され飢餓との戦いを続け、約16,000名の人員が終戦時には2,754名であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第51師団 (日本軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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